ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

ふる里を手離し、ふる里を造った開拓移民たち

2017.11.1   14:45


美味しい八重山そばを食べた後、
近くに大好きな場所をみつけ寄り道。


イメージ 1


八重山平和祈念館』

観覧料100円(^。^)


資料の大小問わず
こーゆー場所は
歴史好きにとって3D教科書ですね。

撮影禁止なので中の画像はありません。

以前から
八重山の色々な島へ出向いて
マラリア流行」によって
多くの死者が出ている事実は
知っていたのですが、
この祈念館で詳細を観覧しました。

小さいながら
工夫された祈念館でしたね。


そして

イメージ 2


有料展示室の隣の別室で

「開拓移民の歴史」

という企画展が、
たまたまこの日から開催されていた。


30名程の開拓の先駆隊が
鬱蒼としたジャングルで

木を切り、荒削りな道を作り、
原木を柱にして
茅を被せただけの家屋を手作業で…

イメージ 3


床板もない家畜小屋のような家を
数戸建てた後に
先駆隊達は自分の家族を迎えた。

イメージ 4


ほとんんど荷物を持たず
着の身着のまま移住してきた
開拓民とその家族。


イメージ 5


来る日も来る日も
ジャングルだった場所を開墾し、

畑を作り、作物を育てた…


元々島にはイノシシがいて
作物を食い荒され
苦悩の日々だったという。

イノシシに畑を荒らされないように
夜は交代で畑を監視した…

荷運びには馬車を使い
集落を作り、学校を建て、
道を切り開き橋を架け
バスも走るようになる。

イメージ 6

☆マクラム道路(現在の390号線)



イメージ 7

☆子供の教育のための学校



年々移住者が増え
島のあちらこちらで開拓が進み
集落もどんどん造られた。

イメージ 8


サトウキビの栽培や
パインの栽培などが盛んになり…

開拓移民たちは
ゼロから
自分たちの暮らしを作ったんですね。


この企画のポスターに
記載されているように、

開拓移民の人々は

「ふる里を手離し、ふる里を造った」


移民となるのに
個々にそれぞれの事情があったにせよ、
とてつもない労働力だったでしょうね。

今日の石垣島
便利で暮らしやすくなった基盤は
戦後にこの島にやってきた
開拓移民の方たちの尽力の賜物。

自らの手で
「ふる里」を造る…って

凄い精神力だな…(*^。^*)

とても良い勉強ができた時間でした。


※白黒画像は全てHPより


☆☆ 海亀好きの航路より ☆☆