H28.5.29 16:00
僕作成のテキトーマップ(^_^;)
アバウトではありますが…
青い線は県道…
茶色い線は寄り道で走った細い道です。
なるべく海岸寄りの道を走ってみました。
黒石森城の後は
ひたすら山を下る道。
海がどんどん近くになってくるぅ~!
久米島へ来る前に
「ここだけは観てみたい!」
と思っていた場所があり、
道も解らず何となく向かっていると…
またまた小さな案内板。
今度は何だ??
案内通りに小さな丘を登って行くと…
うおぉ~…!!
鳩間島の島1周道路を思い出すぅ~(^。^)
何だか解らんが…
石があるらしい。
バイクを下りて歩いてみる…
足元が鬱蒼としていて
直ぐ近くまでは行かなかったが、
「ソナミの烽火台(ほうかだい)」
この烽火台は 別名で
「火焚石(ひーたてぃいし)」
とも呼ばれて、
船が通行したときに
それを知らせる烽火を上げた場所。
20年以上前に石積みが取り壊され
今では烽火台跡の大石だけ残っている。
琉球王朝時代、
沖縄(八重山諸島なども)の
各島々から烽火をあげて
首里まで伝達をしていたんですよね…
こんな草だらけになって覆われてるが、
当時は重要なお役目を果たしていた
石なんですね。
そしてこちらが
「涙石」
烽火台の石と区別のつかない
同じ色の石ですが…
石の上に深さ五寸ほどの穴があるそうです。
ここからは
伝説の話になります…
『この地域に
立派な風采と聡明な持ち主で
島の人からも敬愛されていた
「笠末若茶良(がさしわかちゃら)」
若茶良の評判が
別の地域の権力者よりも良く
ねたみをかい、
若茶良の母親は粟国島へ追放された。
その後権力者同士の戦いが起こり、
武勇に優れた若茶良は
戦いに勝ったものの、
毎日ソナミの丘まで行き
石の上で母の居る粟国島を眺め
泣き暮らしていた…』
…というお話。
石の上にある五寸の穴…
若茶良の涙が
その穴に留まって渇くことがなかったので
涙石と呼ばれるようになったとさ(^。^)
…武勇に優れ、立派な風采に聡明な男が
母ちゃんを思って
そんなに泣くもんなのかいな???
でも、久米島に来て
歴史の1つを学びました(^v^)
☀ 海亀好きの航路より ☀