ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

「歓迎」と「感謝」で開拓された集落

2017.7.28   


久米島鳥島集落」の続き…

沖縄県最北東に位置する

硫黄の採掘で知られた島だったが
島民が生活をしていた頃は、
漁業も盛んだったそうです。

無人島となった現在も
時々噴煙が確認できるという。

野性化した山羊だけが生きており
リュウキュウマツやシークワァーサー
などの植物の他に、

かつての島民が栽培していたと思われる
タバコも見受けられるそうです。


記録として残る噴火は
今から386年前に起きた噴火で死者多数…

その後、
30~50年おきくらいの間隔で
何度も何度も噴火を繰り返してきた。

そのたびに
硫黄鳥島で暮らす島民は
近くの奄美大島沖縄本島などへ
避難生活を送り生き延びてきたんですね…


明治36年に起きた大噴火によって
100世帯548人という殆どの島民が
久米島へ移住して行ったそうです。

久米島移住後も
硫黄の採掘は行われていたが、

昭和34年の噴火によって
残った住民も島外へ移住し、
採掘従事者も撤退した昭和42年以降
無人島となってしまった…。


大規模な移住者の受け入れ先として
いくつかの移住候補地の中から

久米島の南西部
現在の「鳥島地区」を選定し決定した。


当時の久米島
米が豊富に獲れ、水にも恵まれ、
600人弱もの移住者を
受け入れることができる土地もあった…

豊かな島だったんですね(*^。^*)


移住地となった近隣住民が
移住者を受け入れるために

荒野だった場所を整地し
道路や家屋を建て開拓して
移住者を歓迎したそうです。

その場所が
久米島鳥島集落。


島の噴火によって
島を離れることになってしまった
硫黄鳥島の島民が、

場所を変えて
新しい「鳥島」という町で
生活を送ってきたんですね~(*^。^*)


島は違えど
同じ久米島町のうちなーんちゅ…

助け合いの精神に
凄い感動をしました…(T_T)


イメージ 1

集落の中に造られた

『七嶽神社(ななうたきじんじゃ)』


島ナビの母ちゃんが
連れて来てくれた場所です。


七嶽神社の小祠には
壺が数個置かれていました。

はじめは
硫黄鳥島の7つの御嶽から
採取した砂を壺に納め、
それらを合祀した。

でも…
7つも壺は無かったなぁ~

年月の経過の中で
祠の中を
荒らす輩がいたのでしょう…(-_-メ)


イメージ 2


イメージ 3


神社の広めの敷地の中に
移住記念碑が数ヶ所建てられていた。

現在も
移住記念日とされる2月11日に
例祭が執り行われているそうです。


移住した島民の
「感謝」 の気持ちと、

移住者を受け入れた島民の
「歓迎」 の気持ちが

形となった集落なんですね(*^。^*)


島の方言がありますが、

硫黄鳥島の方言は
鹿児島県に属する
徳之島の方言との共通点が多く、

この鳥島集落だけ
言葉が少し違うそうですよ。


神社の真横には
硫黄鳥島から移住してきた方達の
「合同納骨堂」が建っていました。

移住者の共同墓地…ってことですかね。

いつの日か…
移住前に暮らしていた硫黄鳥島
故郷の地に葬られることが
叶うといいなぁ~。

島がまるごと
別の場所へ引っ越してきたような
そんな地区なんでしょうかね…。

イメージ 4

神社の小祠横に
ひょっこり鎮座していた
小さなシーサー…

心が和む1枚です。



因みに…
現在無人島となっている硫黄鳥島

活火山島なので…

「端の浜温泉」
と呼ばれる海中温泉があります。

秘湯マニアや釣り人が
海の穏やかな時期に
海中温泉に浸かっているそうです(^○^)

ただ、
定期船などは無いので

船をチャーターするか
自前の船で行くしか出来ない
秘湯の中の秘湯♪

マニアには
たまらない温泉地でしょうね。

以前
ダーツの旅かなんかの番組で
取りあげて放送していたことを
思いだしました(*^^)v


☆☆ 海亀好きの航路より ☆☆