ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

大正・昭和時代の少年たちの憬れ

2022.5.31 9:30

 

青銅製立像として世界一の高さと言われる

牛久大仏」をあとにし、

車で約20分ほどの次なる目的地へ。

 

 

(画像はHPより)

 

予科練平和祈念館』

 

戦争博物館です。

 

予科練(よかれん)」…って

よく聞いてはいたけれど、

 

正しくは

「海軍飛行予科練習生」。

 

第一次世界大戦以降、

 航空機の需要が世界的に高まり

 欧米列強に遅れまいとした旧海軍が、

 より若いうちから基礎訓練を行い

 熟練の搭乗員を多く育てようと、

 昭和5年に教育を開始。

 

 14歳~17歳までの少年を

 全国から試験で選抜し、

 搭乗員としての基礎訓練をするもの。

 

 飛行予科練習生度が始まってから

 終戦までの15年間で約24万人が入隊し、

 うち約24000人が

 練習課程を経て戦地へ赴いた。

 

 なかには

 特別攻撃隊として出撃した者も多く、

 戦死者は8割の約19000人にのぼった。』

  (パンフレットより抜粋)

 

 

この記念館は

戦争ものの映画やドラマなどで観る

「格好良い軍人」になる前の

訓練生を教育していた頃の資料館です。

 

第二次世界大戦へ突入し

激戦を繰り広げ…

大日本帝国は次々と領土を拡大…、

 

自国は物凄く強い国だと

誰もが思っていたのでしょうね…

 

あの真珠湾攻撃の奇策が

別の形で成せていたら、

後の戦況は

また違う結果に流れていたのかもしれない…

 

と、思ってみたりする僕。

 

終戦となり、

戦争の結末とその後を知り生きてきた僕には

今、

何が良かったのか悪かったのかさえ

解らない…。

 

 

でも、

きっと当時の陸・海・空軍の軍人たちや

その軍人を志した若い少年たちにとって、

「軍人」というものは

憧憬の的だったんだろうな…。

 

 

 

戦争遺跡、

戦争博物館や資料館、

戦争映画やドラマ…

 

個人的に好むものなので、

このての記事は長くなるかと思います(^_^.)

 

 

 

第二次世界大戦末期、

刻々と戦況が悪化する中

 

命を捨て

己の身をもって撃墜する戦法が生み出される…

 

弾薬を積み

その中に人が入り

敵艦に突撃…

 

「人間爆弾」と呼ばれる兵器のひとつ

 

『回天(かいてん)』

のレプリカが敷地内に…

 

 

のちに特攻兵となった若者たちは、

尊い命の終わらせ方を

 

「お國のため 突撃する」

 

と、我が身を兵器の一部にすることを志願した

 

…その覚悟は

この訓練施設のカリキュラムで

しっかり育成されたものだったのだろうと

知ることができました。

 

 

☆☆ ティダぬファ~のわたるより ☆☆