2019.8.31 8:00
ひとり旅3日目。
寝起き眼のままホテルのフロントへ…
「すみませぇ~ん…
昨晩携帯を落としてしまって。
申し訳ないのですが
携帯にコールしてもらっても良いですか?」
…と、願い出た。
快く応じて下さったのだが、
呼び出しはしているが
誰も出る気配がない。
そのままホテルの外へ出て、
昨晩のスナックからホテルの周囲を
ウロウロしながら端末探し…。
ない…(T_T)
側溝にでも落ちたのか??
既に誰かに拾われたのか?
もしかして
ホテルの部屋のどこかにあったりして…
でも、
ない…(T_T)
ま、仕方ないか!
せっかく旅に来ているのだから
携帯ごときで騒いでもしょうがない。
酔っぱらっていた自分が
悪いのだから!
こういう時の開き直りは
他人が驚くほど
切り替えが早い(笑)
部屋へ戻り
朝飯を喰らって…
普通に出かける支度をする。
携帯が無いと
行先のナビ変わりになるものが無く、
今後の数日間は
レンタルバイク店で貰った地図と
下調べした時に頭に記憶している
大まかな位置のみが頼り。
この日は
ちょっとゆっくりホテルを出て…
ホテルからほど近い
「西郷南洲記念館」へ(*^。^*)
小さな記念館で
僕一人しか居ませんでしたが、
記念館の係のオジサンが
まぁ…ご丁寧に
僕にビッタリ寄り添い、
事細かく説明をしてくれました。
歴史好きで、
僕なんかよりも熱く、
西郷さん大好きな方なのでしょうね(^_^.)
記念館内の撮影は自由にOK。
でも、
ここで画像を記載すると
僕も記事の文面が長くなると
解っているので省きます(笑)
奄美大島で結婚した島妻の愛加那と
長男:菊次郎
愛加那の体内に宿った長女:菊草
を残し、
死罪の次に重たい刑と云われた
沖永良部島へ遠島となり…
格子牢での苦境に耐え、
沖永良部島で警察官の巡査役だった
土持正照とその母に命を救われ…
座敷牢での生活を始めた西郷さんは、
「世のため国のために働きたい」と。
島の子供たちに学問を教え、
食糧の保存方法を島の人々に教え…
まぁ~ホントにご立派な生き様です。
記念館の展示物を吟味した後…
痩せ細った西郷さんと一緒に
格子牢に閉じ込められました(笑)
好きでこの場を見に行くと
なんて言うかなぁ…
「深い…」
大河ドラマの内容は
史実が4割、
作り話が6割…と言われていますが、
今、言い伝えられている
「西郷隆盛」という人が
本当に実在したのかもわからなくなる。
そのくらい、
この人の残した行いや業績、
そして人としての振る舞いも…
凄いものだったのでしょうね。
記念館の直ぐ近くには
『南洲神社』
画像中央に写るのは…
愛犬ツンを連れた
西郷どんの像が堂々と建っています。
迷いなく
参拝させて頂きました!
…ここからは
凄く個人的な思いなのですが、
僕は老人ホームに勤めています。
何度となく辞めたいと思いながらも
おかげさまで今月に入り
勤続14年目となりました。
僕が今の職場に入職した頃、
敬老のお祝いで100歳を祝った男性が最初。
それから毎年、
ごく普通のように
100歳の入所者がいました。
でも、
数年前逝去されたある方は
享年109歳だったかな…?
記憶は定かではないが、
明治38年頃の生まれだった気が…
仮に、
その入所者だった方が
明治38年(1905年)生まれだったとして
西郷隆盛が無くなったのが
明治10年(1877年)…
(@_@;)!!!
そう考えると
西郷隆盛が生きていた時が
そんなに遠くはないのだと思う。
老人ホームに勤めていることで、
明治・大正・昭和初期などの
これまた色々な話を聞けることは、
仕事といえど、
貴重な時間なんだな…
☆☆ 海亀好きの航路より ☆☆