ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

600年以上前の城跡

2019.8.31    14:00

 

 

以前の記事で投稿しましたが…

 

沖永良部島にやってきて

最初に訪れた場所は

「世之主の墓」 でした。

 

今回は、

その世之主加那志に仕えた

家臣にまつわるお話です。

 

 

 

沖永良部島を治めていた世之主には

4人の家臣がいたそうだ。

沖永良部島の四天王なぞと

呼ばれているらしい…

 

 

「西目国内兵衛佐」

(ニシミクニウチベーサ)

 

 上城地区の豪族

 

「国頭弥太郎」

(クンジェイヤタロウ)

 

 国頭地区の豪族

 

「屋者真三郎」

(ヤジャマサバル)

 

 屋者地区の豪族

 

「後蘭孫八」

(ゴランマグハチ)

 

 御蘭地区の豪族

 

 

…と、

南の島々の方の名前っつ~のは

読み方が難解です(-_-;)

 

島訛りで

別の読み方もするらしいのですが

とりあえず上記のように記載しました。

 

 

学者だの、

強力の持ち主だの、

建築に長けていただの…

 

と、いうような四天王だそうで。

 

 

最後に記載した

「御蘭孫八」

 

島に御蘭(ゴラン又はグラン)

という地区がありますが、

そこに城を築いた人であり

今でも城跡が残っています。

 

 

…という長い前置きでしたが、

 

「城跡」と聞けば

城跡好きの僕は行くしかないでしょ!!

 

 

『御蘭孫八城跡』

 

f:id:tida-kankan:20190924100248j:plain

 

 

f:id:tida-kankan:20190924100516j:plain

 

 

f:id:tida-kankan:20190924100642j:plain

 

 

f:id:tida-kankan:20190924100834j:plain

 

 

既にジャングル化していますが

好きな人にしてみたら

萌える場所の一つですな(*^_^*)

 

 

f:id:tida-kankan:20190924101133j:plain

(HPより引用)

 

 

この城を築いた孫八という人物…

 

壇ノ浦の戦いで敗れた

平家の落人の子孫と云われている。

 

優れた築城家として

世之主の居城をも一任されたそうな…。

 

 

f:id:tida-kankan:20190924102656j:plain

 

 

僕は最初、

「西口」という所から城跡へ入りましたが

城跡への入口は

この「南口」が一番解りやすいです。

 

f:id:tida-kankan:20190924102908j:plain

 

「御蘭孫八の墓」

 

 

f:id:tida-kankan:20190924103108j:plain

(HPより引用)

 

入口にかけられた箱に

城跡の案内図があったそうですが…

僕が訪れた時は無かったなぁ。

 

誰か持ち帰ってしまったのかしら??

 

 

城跡の中に

 

「ノガレ穴」

 

という場所がありました。

 

そこは、

一説によると

敵から逃れるための秘密の逃げ道。

 

鍾乳洞へ通じる道だとか…

 

僕が観た場所は

崩れた石積みが少しだけ見え、

草木に覆われていたので

逃げ道らしい雰囲気ではなかったけど…。

 

 

島の観光スポットの一つだが、

大きなアコウの木やガジュマルが

堂々と育ち、城跡内部は獣道です。

 

見学も有料ではないし、

島の財政も関係しているのかな??

 

もう少し整備されれば

ロマン溢れるこの場所に

たくさんの観光客が

来る気がするのですがね。

 

 

しかし…

ここは南の島。

 

毎年毎年猛烈な台風が襲う場所…

 

雨風に曝され

手の込んだ整備が成されない今の状態で

この城跡を後世まで残すことは

出来るのだろうか???

 

 

整備されすぎて

「旧御蘭孫八城跡」…なんつって

公園になんかなって欲しくもない。

 

 

古い物を守り残していくってことは

財と労力と強い想いが必要なんでしょうね。

 

 

f:id:tida-kankan:20190924110544p:plain

 

城跡好きは

是非! (*^。^*)

 

 

☆☆ 海亀好きの航路より ☆☆