ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

夜泣きの子供に聞かせた言葉

てぃだぬふぁ~ ワタルです
 
旅子ちゃんと合流して初日だというのに
既にいくつの場所を見て回っただろうか…。
陽も暮れてきて、
3人での旅の初日はこれにて…
 
なぁ~んてことはありえず、
陽が暮れてから狙っていた場所もあるんです。
 
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読谷村にある世界遺産「座喜味城跡」。
ライトアップされるんですね(^-^)
これも旅の匠、旅子ちゃんの提案です。
 
世界遺産だというのに、
ここは無料で入ることができるんです。
 
琉球の戦国時代の名称「護佐丸(ごさまる)」
知っていますか?
15世紀の初めころ、
この人護佐丸によって築城されたのですが、
石垣のアーチ門が
これまたピッチリときれいに組み合わさっている。
 
地盤の弱い赤土の台地なので、
城壁のカーブを大きくし、
台地を掘り込んで石垣をぶ厚く積み上げ
強固に築かれた座喜味城。
 
緻密な計算の元に築城された城なんですね。
石垣もホントにキレイな曲線を描いています。
 
ヒーロー的存在だった護佐丸ですが、
村の人々にはある意味恐れられていた…
というお話があります。
それは…
築城するにあたり多くの人手を要するため
村の男たちが次々と連れだされたことでしょう。
 
子供の夜泣きを止ませるために
「護佐丸がちゅんどぉ~!!」
(護佐丸が来るぞぉ~!!)
…と言っていたらしい。
 
何故かというと、
子供がいるということは、
その家に父親(若い男)が居るということ。
 
築城のために必要だった働き手として
護佐丸に連れていかれてしまうよ!
…と、子供に言って聞かせたのでしょうね。
 
今ではお父さんなんて居なくなっても良い!
…なぁ~んていう子供も多いのでは(笑)
大黒柱の頼れる父さんが
居なくなってしまうのを嫌がり、
当時の子供はスゴイ我慢をしたのしょうかね。
 
築城の名手 護佐丸…
現代のように設計に関して
緻密な計算を容易く出来たわけではないだろう。
重機を使って重たい石を運ぶことも
当時には無かっただろう。
 
どれだけ頭の良い人だったのだろうか…
 
数百年も経った今、
一部修復がなされたらしいが、
ほぼ当時のままの状態で残っている
この城跡の曲線美。
 
城が完成した当初は想像できないくらい
もっと素晴らしいサマだったんだろうな。