ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

収穫高日本一の農園刑務所

2018.6.2


【博物館 網走監獄の続きvol.4】


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次は
国指定重要文化財の1つである

『旧網走刑務所 二見ヶ丘刑務支所』


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この建物は…

網走刑務所の
農園作業の先導的施設として
明治29年に網走の西方丘陵地に
「屈斜路外役所」として設置された。


二つの湖を眺望できる位置に建設され
その後、
「二見ヶ丘刑務支所」として改名。


1世紀を超えた今日も
網走刑務所収容者の
食糧を担う場所として

また
広い農場で収容者が
作物の管理から収穫まで自立的に行う
開放的処遇施設として
重要な役割を果たしている。


現存する木造刑務所としては
日本で最古の建物。

平成11年に博物館に移築された。


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各棟とは渡り廊下で繋がっているが、
この煉瓦敷きの通路…

明治時代とは思えないセンスだ!!


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この農場内での食事風景は
比較的自由さが窺える。


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自分達の手で栽培した
小豆の選別でもしているのだろう…


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炊事係であろう囚徒が
調理に取り掛かるところなのか…


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着替える時も
窓から丸見えであり、

腰下の高さほどの木枠で
仕切られた狭い場所で着脱する様子…。


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入浴の様子…

ここは、
農園刑務所の入浴風景。

入浴についての詳細は
次回の記事にて! (^_^;)


でも、
この画像の1番右の
浴槽に浸かっている人の様子…

何とも言えぬ表情が良いなぁ~(笑)



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農園刑務所として
歩み始めた網走刑務所は
農地を次々と開墾し、
日本一収穫高を誇る農園刑務所となった。


広大な農地となった網走刑務所…

農地面積はピーク時で
東京都の新宿区に匹敵する広さがあった。

この広大な農地には
なんと!!
塀が無かったそうだ。


馬鈴薯や南瓜、そば、麦類などの
比較的簡単にできる作物以外にも、
乳牛を買い付けて
バターや牛乳をつくったり
寒冷地では難しい水稲栽培や果樹栽培も
挑戦をしたという。


昭和49年度の
網走刑務所の農産物総生産高は

\(◎o◎)/!

なんと、
1億7千万円以上になった!!



この刑務所では
農作業を通じて受刑者の改悛を促し
段階的に仮釈放へと結びつける
累進処遇が実践された。

また、
受刑者が更生後に生活出来るように
農業技術を身につけることが目指された。


明治初期、
網走監獄が始まった頃は
北の防備のために
犠牲者を多数出すほどの
過酷な労働を強いられたが、


道路開削や農地の開墾などが
推し進められていくと同時に
時代も変わっていき、

大正、昭和と年月の経過とともに
刑務所での作業内容や
囚徒に対する考え方や在り方も
少しずつ変化してきたのでしょうな。



☆☆ チュプカムィの航路より ☆☆