ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

「土の踏みおさめに歩きとうごわす」

2019.8.29    17:30

 

 

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(笑)

 

デジカメに写そうと思い、

バイクに置いてあったリュックへ

カメラを取りに行った30秒ほどの間に

太陽が雲に隠れてしまった(笑)

 

一応撮影はしてみたが

何なのか解りづらい…(^_^.)

 

※石碑に刻まれた文字は以下

 

西郷隆盛上陸之地」

 

西郷隆盛は先に徳之島謫居中の処、

 更に島賛の厳命に接し護送されて、

 文久二年(1862年)閏八月十四日

 伊延港に着岸

 但し、牢舎の成るのを待つ為

 なおお船牢に在って十六日上陸」

 

 …と、記されていた。

 

幕末の頃…

偉大だった島津斉彬の死去後、

熾烈な争いとなっていった将軍継嗣問題…

 

藩命に背き月照さんと共に

海へ身を投じても生き延び、

死んだことになった西郷さんは

奄美大島に潜伏。

 

3年もの間

奄美大島で暮らす中、

「とぅま」=「愛加那」

という島の女性と結婚し

2人の間に二子を設けたが…

当時の薩摩も京も江戸も…

激動の時代真っ只中。

 

生きていることを知られた西郷さんは

幸せな家庭を築いている最中に

呼び戻されてしまう…

 

「世間知らず」

とも云われている

斉彬の弟:島津久光

薩摩藩の実権を握っていた…

 

西郷さん生きていることを知り、

呼び寄せたはものの…

 

久光の力量の無さを知る西郷さんは

 

「御前(久光)は地ゴロ(田舎者)で

 事情に暗いから無理でしょう」

 

今のアナタに何が出来るのだ??

…と、暴言を吐いたという。

 

西郷さんは最初は

徳之島へ流刑となり

その後、

よほど久光を怒らせたのでしょうね…

徳之島から更に南の

沖永良部島流罪となった…。

 

鹿児島の南端である与論島には

役人が居なかったそうで、

沖永良部島へ流刑となったという。

 

当時の流刑地としては

最重罪にあたるほどの遠い島への流刑。

 

碑に刻まれた文字では…

西郷さんが沖永良部島に着岸したのは

八月十四日、

 

でも…

島に牢屋が無かったため

牢を造り終えるまでの間は

海に浮かぶ船の牢内で過ごし、

 

牢の完成に伴い

代官が迎えにきた時に

島に足を着けたのが八月十六日ってことかな。

 

迎えに来た代官は

牢のある和泊まで乗馬をすすめたが、

 

「土の踏みおさめに歩きとうごわす」

 

死刑とも云えるほどの流刑地

上陸した西郷さんは

迎えの馬を断り

歩いて和泊まで向かったそうだ。

 

 

くぅ~! (>o<)

格好良すぎる!!

 

 

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この上陸地の直ぐ目の前には

「伊延港(いのべこう)」がある。

 

伊延港は

那覇市鹿児島市間を就航するフェリーが

天候や波の影響などにより

和泊港に寄港できない場合に

臨時のフェリー乗り場として使用される港。 

 

 

昨年の大河ドラマの影響なのか??

周囲はきれいに整備された感あり。

 

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奥に見える水上ボート…

 

 

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小学生らしき子が

ボートに乗ったり

海に飛び込んだりして遊んでいた。

 

エンジン音は聞こえなかったので

操縦はしていないと思われる…。

 

こういう遊び場…

海無し県民は羨ましい。

 

 

この島の子供たちは…

きっと

西郷隆盛について詳しくなるんだろうな。

 

 

☆☆ 海亀好きの航路より ☆☆