ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

禊から誕生した女神

2022.5.31

 

 

観光スポット「鹿島神宮」の続きVol.4

鹿島神宮にまつわるお話 わたるバージョン」

 

 

神様のいる天上界は

高天原(たかまがはら)」

 

地上界(2人の神が生んだ島々)は

葦原中国(あしはらのなかつくに)」

 

死者の住む冥界は

「黄泉の国(よみのくに)」

 

と、呼ばれます。

 

 

ラブラブだった国生みの神

イザナギ神と妻イザナミ神でしたが…

 

妻を失ってしまったイザナギ神は悲しみに暮れ

愛する妻を取り戻すために

黄泉の国へ向かったのです…

 

 

黄泉の国へ着いた夫:イザナギ

岩の扉の向こうにいる亡き妻:イザナミに向かって

話しかけました。

 

イザナギ

「まだ僕たちの国つくりは終わってないよ、

 だから一緒に帰ろう」

 

亡き妻イザナミ

「私は黄泉の国の物(お供え物)を食べたから

 生き返れない…。

 でも、黄泉の神と相談してくるから

 戻るまで絶対に私の姿は見ないで~!!」

 

 

どんなに待っても

亡き妻イザナミが戻らないので

我慢できずに岩の扉を開けてしまった夫イザナギ

 

禁断の扉の先には…

 

腐りかけた恐ろしい姿の

亡き妻イザナミが横たわっていた…

 

亡き妻イザナミ「見ぃ~た~なぁ~!」

 

イザナギ「(@_@;)ギャァーーーーーーー!!

 

 

酷い姿を見られてしまったイザナミは怒り

逃げる夫イザナギ

黄泉醜女(よもつしこめ)という悪霊に

追いかけさせ…

イザナミ自身も追いかけた…

 

必死に逃げたイザナギ

現世と黄泉の国の境界で

あんなに愛した妻イザナミ

離縁を言い渡しました。

 

 

黄泉の国で穢れた身を清めるために

イザナギ神は海で禊をしたのです。

 

身に着けていた衣、袴、帯、杖、腕輪や

禊をした海水などからも次々と神々が生まれ…

 

最後に

左目を洗うと

天照大御神(あまてらすおおみかみ)』

 

右目を洗うと

月読命(つくよみ)』

 

鼻を洗うと

須佐之男命(すさのお)』

 

が生まれたそうだ…。

 

 

この3人の神様たちは

三貴神(さんきしん)」と呼ばれる強力な神々。

 

イザナギ神は

天照大御神(アマテラス)に

「髙天原(天上界)を治めなさい」

 

月読命ツクヨミ)に

「夜の国を治めなさい」

 

須佐之男命(スサノオ)に

「海を治めなさい」

 

と命じたのだそうです。

 

誰もが1度は聞いたことのある神様

 

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、

 

国を生んだイザナギ神が

禊で左目を洗った際に誕生したんですね…。

 

そして

数々の神たちがいる天上界を仕切る女神となった

ということだったんですね(*^。^*)

 

 

余談ですが…

同じ禊の際に生まれた弟のスサノオ

 

諸説あると思いますが、

 

 

命じられた海を治めず

「ママ(亡きイザナミ神)に会いた~い」

と泣き喚き、マザコンであったという…

 

激オコの父イザナギ神は

スサノオ神を海から追放したのだと(笑)

 

また、

「姉:アマテラスとの対決」に勝ったスサノオ

調子に乗りイタズラがエスカレート…

 

 

 

農作物を荒し、

田んぼを壊し、

ウンコで水路を潰し、

死者まで出す始末…。

 

散々の悪態をやらかした後に

他の神々から罰を受け、

天上界である高天原(たかまがはら)からも追放(笑)

 

天上界を追放されたスサノオ神は

地上である葦原中国(あしはらのなかつくに)の

出雲を流れる川の上流に降り立ったのだとさ。

 

なかなかの異端児でありますが…

 

このスサノオ神は

後に「八岐大蛇(やまたのおろち)」を

退治したという伝説もある…。

 

 

 

神話に出てくる神様でも

やはり変わり者はいるもんですな~(^_^.)

 

さて、今回はここらで…

 

 

☆☆ ティダぬファ~の わたるより ☆☆

御祭神は「火の神の血から生まれた」

2022.5.31

 

 

観光スポット「鹿島神宮」の続き Vol.3

 

今回の記事は、旅行記ではなく…

鹿島神宮にまつわるお話」

…ってな感じになります(*^。^*)

 

 

前回記事の終わりと重複しますが、

 

鹿島神宮の御祭神や由緒について

ホームページやパンフレットなどに

記載されてはいますが…

 

きちんと勉強をしてこなかった僕には

サッパリ理解ができないんですよね…(^_^.)

 

なので

御祭神の「武甕槌大神(タケミカヅチの神)」

 

と、

 

鹿島神宮の創建者である

神武天皇(じんむてんのう)」

 

について、

 

僕なりに調べて

僕なりに理解して

僕なりに整理したことを

記事にしてみました。

 

 

では、

鹿島神宮にまつわるお話 わたるバージョン』

 

 

ねぇねぇ…、

天孫降臨」って知ってる??

 

天上にいた神様が地上に降りてきて

日本を治め始めたことで

その降り立った地が…

現在の宮崎県高千穂と云われている。

 

そんな天孫降臨に全く関係が無さそうな

茨城県鹿島市鹿島神宮

その天孫降臨に重要な役割を担った神社で、

 

「すべての始まりの地」

 

と呼ばれるほどの凄いパワースポットなのです。

 

人生のターニングポイントでご利益を頂ける

最強神社とも言われています。

 

鹿島神宮の御祭神のことを

より理解するために…

天孫降臨が成されるもっともっと前の

神話とされている神代時代の最初まで遡り…

 

 

 

天と地が初めて出来たとき、

造化三神(ぞうかさんしん)」

と呼ばれる3人の神が現れたが、

直ぐに姿を隠してしまった…

 

その後も2人、

神様が現れたが姿を隠してしまった…

 

この5人の神様を

「別天つ神(ことあまつかみ)」と呼ぶ。

 

これまでの神には性別が無く

「独神(ひとりがみ)」であったが、

後に5組の男女神が現れました。

 

その5組目の男女神が

最初に現れた造化三神から7代目にあたる

イザナギ神(♂)」と「イザナミ神(♀)」

という名の夫婦。

 

 

この2人の神は

「国を固めて国土にしなさい」…と、

別天つ神(ことあまつかみ)たちの命令により

授けられた「天の沼矛(あまのぬぼこ)」で

海をかき混ぜ、引き揚げ…

 

矛の先から落ちる塩が固まって出来た島を

「オノゴロ島」と呼ぶことにした。

※現在の淡路島近郊の島という説がある

 

このオノゴロ島に降り立った

夫:イザナギ神と  妻:イザナミ神は

その後8つの子(島)を生み、

日本は「大八島国(おおやしまのくに)」

呼ばれるようになった…。

 

 

国(島)を生み終えた2人の神は、

続いてたくさんの神々を生んだ。

 

家宅を表す神、

風の神、

木の神、

野の神…といった

自然の神たちが生まれ、

 

最後に火の神を生んだ時に

妻:イザナミ神は陰部(産道)に

大火傷を負ってしまった…

 

病床に伏せた妻:イザナミ神が痛みに苦しみ

吐いてしまった吐瀉物や

糞尿からも神が生まれた…

 

火の神を生んだことで大火傷を負った

妻:イザナミ神は…

苦しんだ末に死んでしまいました・・・

 

 

妻の死で怒った夫:イザナギ神は

十拳剣(とつかのつるぎ)で

火の神を切り殺してしまったのです…。

 

 

その十拳剣についた血から生まれたのが

 

 

鹿島神宮にお祀りされている

武甕槌大神(たけみかづちのかみ)』

 

 

・・・

 

という訳で、

鹿島神宮に祀られている御祭神の誕生は

 

父親が剣で子供を殺した時に

その剣に付いた「血」から生まれた

 

ということなんですね…。

 

 

因みに…

先から出てくる

「たけみかづちの神」(鹿島神宮の御祭神)

の表記ですが…

 

調べているなかで

色々な漢字で記載されていまして…

建御雷之男神

「武甕槌太神」

武甕槌大神」…

 

漢字の記載が違うことについては

調べていないので

ご勘弁ください…(^_^.)

 

僕の記事では

鹿島神宮境内にも記載されている

武甕槌大神

と記させて頂きます。

 

 

今回は

ここまでと致しますか(*^。^*)

 

 

☆☆ ティダぬファ~の わたるより ☆☆

徳川二代将軍 秀忠公奉建の本宮社殿

2022.5.31 15:00

 

 

観光スポット「鹿島神宮」の続きvol.2

 

(画像はHPより)

 

楼門をくぐり拝殿・本殿へ来ました。

 

本来ならば

画像の景観だったのでしょうが、

現在境内の様々な社が

「令和の大改修」の最中でして…

 

僕らが観た拝殿は

 

 

 

このような状況でした。

 

残念な気持ち半分と、

式年改修が成される直前の見納めに

思いにふける気持ちと…

また改修後の新たな拝殿への期待と…

 

今までの慰労の気持ちや

今後の楽しみが入り混じって

複雑な気持ちになったな…。

 

 

 

僕の勝手な想像ですが…

若い女子たちで訪れたら…

「ねぇ、何お願いしたのぉ?」

「えぇ!!秘密ぅ~!」

「ウチはね…

 彼と結婚できますよ~に…ってお願いした~」

「マジでぇ!?ウチも同じぃ~!!」

 

…みたいに盛り上がるのでしょうか…。

 

僕らは四十路を超えた初老野郎でして

個々に抱える個人的な重圧もあり、

粛々と静かに参拝をしました。

 

何も言わず、

何も聞かず…

そういうのが一番清々しい(*^。^*)

 

 

現在の鹿島神宮の社殿は

徳川二代将軍 徳川秀忠公によって

奉建されたそうです。

 

それまでは

1605年(慶長10年)に

徳川家康公によって奉納された社殿が

本宮とされていたようですね。

 

秀忠公による本宮社殿の奉建により

家康公によって奉納された社殿は

「奥宮社殿」として

現在の場所に移されたそうです。

 

 

ここ鹿島神宮

お祀りされている御祭神や由緒などは

ホームページやパンフレットなどに

簡易的に記載されています。

 

でも、

頭の悪い僕には

そこに記載されている文面だけで

自分なりに理解することも出来ません。

 

だけど

歴史は好き…

 

だから自分なりに調べるのであります!

 

 

鹿島神宮の御祭神は

武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)』

 

鹿島神宮の創設者は

日本で初代の天皇とされる

神武天皇(じんむてんのう)』

 

・・・(;一_一)

 

それだけじゃ~全く解らん。

 

 

なので、

僕なりに解釈したことを

次回記事にアップしようと思います(*^。^*)

 

 

☆☆ ティダぬファ~の わたるより ☆☆

 

広大な神域の中心「鹿島神宮」

2022.5.31 15:00

 

 

観光スポット「鹿島神宮」の続き…

鹿島神宮の記事は

  かなり長くなりますよ~(^_^.)

 

 

 

大鳥居をくぐり真っ直ぐに伸びる参道

 

参道の両脇には

ご立派な石燈籠と

献燈された木製の燈籠が所々に…

 

正面には存在感バッチリの楼門が

参拝者を待ち構えています。

 

この参道だけでも

厳かな雰囲気が漂っています

 

…が、

 

 

「ちょっと、トイレ行ってくる・・・」

 

 

…と、

参道の半分を歩いたところで

ヒョイと姿を消した旅友のユイ君(^_^.)

 

旅行となると便秘をしやすく

朝から腹の調子がいまいちみたいで…

何だか気の毒だ(T_T)

 

友が

爽快な顔で戻ってくることを期待しつつ、

参道途中の末宮「稲荷社」に

手を合わせていました。

 

 

 

 

 

画像ではよく見えないのですが

もう1、2歩ほど前に進むと…

ものすごい数のお稲荷様から注目され

見つめられます(^_^.)

 

ユイ君はきっと…

怖がるな、ココ(笑)

 

 

少し話はそれますが、

鹿島神宮と聞いて頭に浮かぶのは

大鳥居や拝殿、奥宮の他、

七不思議と云われをもつ要石や御手洗池…

 

境内におかれた一般的な敷地を想像しますが、

 



拝殿や奥宮のある境内を中心とし、

東西南北各地点にある

「一之鳥居」に結ばれた範囲は

鹿島神宮神域だそうです。

 

境外にも幾つかの摂末社が点在し、

境内・外の摂末社は合わせて23社!!

 

さすが東国最強と言われる鹿島神宮です(*^。^*)

 

 

 

トイレから戻ってきたユイ君…

 

ん…、まだ冴えない表情だったので

「不発」ということでしょう(笑)

 

さて、進んでいきますか。

 

 

 

鹿島神宮 楼門』

 

江戸時代…

当時の鹿島神宮宮司

三代将軍 徳川家光

「病気平癒の祈願」をしたところ…

将軍の病気が快癒したことから、

 

水戸藩の初代藩主

徳川頼房(とくがわよりふさ)が ※家康の11男

「兄貴を治してくれてありがとう!」

ってことで、

寛永11年

お礼として奉納したのがこの楼門だそうです。

 

 

 

因みに

楼門正面のこの神額…

 

鹿島神宮からすれば

すごく最近という感覚となりますが、

あの有名な

大日本帝国の海軍元帥である

東郷平八郎の直筆なんですと(@_@;)!

 

 

この場所について調べると

もちろんこの後の記事にもですが、

次々と凄い人名ばかりが出てきます…

 

 

格式高かった将軍様や軍人が

崇敬してきた

「武道の神」「勝利の神」と

崇められていたことが理解できます。

 

まだ楼門までの旅行記なのに

記事をアップしながら

ゾクゾクするぅ~(^_^.)

 

 

☆☆ ティダぬファ~のわたるより ☆☆

時の経過を感じた「再建された大鳥居」

2022.5.31 13:30

 

 

美味しい昼食を堪能し店を出ると…

せっかく止んでいたのに

再び雨がシトシトと…(-_-;)

 

さて、

次なる目的地は

僕にとってはこの旅で1番楽しみの場所。

 

6年前、

散歩感覚の一人旅で同じ茨城県へ行きました。

その際に利用したローカル列車で

「この列車であそこへ行けるんだぁ…」

と知ってから、

ジワジワと訪れたい気持ちが芽生えたんです。

 

 

鹿島神宮常陸国一之宮』

 

 

今回の行先にチョイスしてから

鹿島神宮について凄い興味が湧き、

ネットで色々と下調べなんぞを始め…

 

そのうちに

鹿島神宮の御祭神について調べ…

気が付けば深掘りし過ぎて

神代時代の「天孫降臨」についてまで遡り…

古事記まで目を通すという始末(笑)

 

興味を持つと

読む気にもならなかった「古事記」が

凄い参考になり、勉強になった…。

 

その集中力…ったら

自分自身でも「病気のよう」と思う。

 

旅を共にするユイ君に

旅のしおりなんぞを作成したのですが、

そのしおりに

鹿島神宮にまつわる下調べの資料をはさみ、

押し付ける有り様(~_~;)

 

無駄に熱の入ったしおりを手渡された時、

たぶん…

それを見たユイ君は内心引いたかも(笑)

 

 

それだけ楽しみだったんです(*^。^*)

 

 

蕎麦店から霞ヶ浦南側を走り

車で約1時間程…

太平洋方面へ一気に向かいます!

 

 

(画像はHPより)

 

14:30頃 到着!!

 

周囲に駐車場が点在していますが、

場所により

有料・無料と違うのでご了承下さい。

 

僕らは鹿島神宮大鳥居脇の

「参拝者第一駐車場」を利用。

前払いで300円の駐車料金がかかります。

 

平日で天候もいまいちだったし

時間帯もあるのかな??

殆ど参拝者はおらず閑散としていました。

 

 

画像に写る

鹿島神宮大鳥居」ですが…

 

(画像はHPより)

 

まだ記憶に新しい

平成23年3月11日午後2時46分

東日本大震災

 

茨城県鹿島市震度6弱の揺れをもたらし、

大鳥居根本部に亀裂が発生。

そして30分後に大きな余震により

御影石製の大鳥居は倒壊に至った…。

 

昭和43年に竣工し、

国産の花崗岩の鳥居としては

日本一を誇るものだった…と言われている。

 

 

現在の大鳥居は

境内から杉の木4本を切り出し、

山形県酒田市の木工場へ輸送…

 

木匠により大工仕事を模した動きで奉納され

乾燥・加工・再建まで祭事を重ね、

平成26年6月1日に

震災から3年の時を経て竣工されたという。

 

 

この辺りも

当時は大きな被害が出たのですね…

 

訪れる前に

この鳥居のことを学んでいたので、

訪れたときに良く眺めてみました。

 

完成間もない時は

もっと新鮮な木材の色合いだっただろう…

 

 

僕が見た大鳥居は

その時から年月が経過していることを

素直に感じられる姿でした。

 

後世に歴史の一つとして残る

あの未曾有の大震災から

既にそれだけの時間が過ぎているんですね…

 

これから時が経つにつれて

益々、木製ならではの味わい深い鳥居に

変化していくのだろうなぁ…

 

続く・・・

 

 

☆☆ ティダぬファ~のわたるより ☆☆

蕎麦に覚醒したかも!

2022.5.31 12:30

 

戦争にまつわる資料館や博物館…

展示資料に熱中してしまう僕には

時間が足りな過ぎるんですよね…(^_^.)

 

でも、

今回初めて旅を共にしたユイ君も

「戦争もの好きです!!」

とは聞いていたものの…

実際は同行してみなけりゃ解らん。

 

でもさ…

期待を裏切るほど僕にそっくりで、

展示資料の一文字一文字を…

パネルにされた拡大写真などを…

隅々まで見つめまくる姿勢はうり二つ(笑)

 

おかげで

どんどん時間が経過し

予科練平和祈念館内では

ほとんど2人で会話もせずに

展示物にくびったけ(^_^.)

 

 

記念館を大いに堪能した僕たちは屋外へ。

 

時間が許せば

お隣の「雄翔館」も拝見したかったが、

なにぶんハラヘラシ~の2人…

 

「メシ食いに行こうか!」

 

 

予科練平和祈念館から

霞ヶ浦南側の125線を東へ

車で7~8分ほどの道沿いにある蕎麦店へ。

 

 

 

「こんちわぁ~」

 

席へ着くなりメニューを吟味…

 

ユイ君は僕に気を遣い

「(ビール)飲まないんですか??」

と…(^_^.)

 

いやいや…

初めて旅を共にする相手で

ガッツリ運転を頼んでいる身で

いきなりそんなことは致しません!

 

飲んだら小便小僧にもなるし…(笑)

 

何度かアルコールを勧められたが、

一応は

「わたる観光」の旅の企画者なので(~_~;)

 

 

 

「天丼セット」を注文しました!

 

早朝起床から何も食わず

腹の減った状態で食べる旅先の蕎麦って…

何でこんなに美味しいと感じるのだろうか??

 

天丼も

しっかりめの甘辛つゆが

いぃ~んだなぁ~コレが。

 

2人とも秒殺で無言になり、

 

ズルルルルルゥ~!!!

勢いよく蕎麦をすすりました(*^。^*)

 

出る言葉は2人とも同じ…

 

「ウマッ!!」

 

 

 

 

店内を眺めていると…

 

ん???

 

 

 

凄く遠慮気味に掲示してあったものに

目がいきました…

 

「本日のそば粉 鹿児島県霧島産」

 

ステキ!! (^O^)/

 

 

ここのご主人…

根っからの蕎麦打ちが好きな人なのかも。

 

固執せずに色々な産地のそば粉を使用して

お客に提供するなんて…格好いい!

 

素人には解らないけれど、

そば粉も産地によって

水の量や捏ね具合やゆで時間など…

 

細部に微妙な感覚や経験があるのでしょうね。

 

単純過ぎるのですが、

学生時代に超体育会系で育ったせいか…

「麺より米!!」

というスタンスでした。

 

今まで麺類を食事とすることを

快く受け入れられなかった自分が居ます。

 

でも、素直になってみると

年齢も40歳半ばにさしかかる今日…

 

脳みそでは

ボリューム重視なのだが、

調子に乗ると直ぐに胃がもたれるのが事実。

体(内臓)は正直です。

 

そろそろ今の自分自身の身体を

きちんと理解して受け入れて行かないと…

 

この店で

僕自身の偏屈なこだわりみたいなものが

少し薄らいだ気がします(笑)

 

蕎麦も、

確かに美味しい!

 

少しづつ

色々な蕎麦屋に行ってみたくなりました。

んで、そのうちに蕎麦に魅了されて、

僕も蕎麦打ちを覚えて

自分の拵えた蕎麦をふるまってみたいな…。

 

会計後、

店を出るとき…

奥で作業中だったご主人が

とっても感じ良く

 

『ありがとうございまーす!』

 

と、

ちゃんと顔を見てご挨拶してくれたことが

凄く印象的で、

気持ちの良いご主人でした(*^。^*)

 

ごちそ~さまでした~!!

 

 

「いさ美庵」

茨城県稲敷郡美浦村舟子1985

☎029-885-3752

駐車場:10台

 

お近くにお出かけの際は

是非、寄ってみて下さい(^O^)/

 

 

☆☆ ティダぬファ~のわたるより ☆☆

茨城県の戦争博物館も凄いぞ!

2022.5.31 10:30

 

予科練平和祈念館の続き③

 

飛行予科練習生制度が始まった当初、

入隊のためには1年に1度の試験が

行われていたそうです。

 

1次試験を通過した者は

1週間泊まり込みをして2次試験へ挑んだ…

 

当初はエリート集団の少年たちばかりが

予科練習生として訓練を受けていたのですね。

 

週休2日制なぞという現在の緩い教育とは違い、

日曜日以外はそりゃ~もう大変な日々…

 

(画像はHPより)

 

お布団やベッドなんてございません。

隙間なくビッシリとハンモックで眠ります。

 

起床の合図とともに

ハンモックの片付けや着替えなど

分けられたグループごとに競争しながら

手早く起床をしていたそうです。

 

日々の学習課程は月曜日~土曜日まで

学校の時間割表と同じように

各科目ごとに割り振られていました。

 

「国語」「英語」など基礎的な科目の他、

パイロットに必要とされる様々な知識や

軍人としての精神論までも教育されていた…

 

「体育」では

フンドシ一丁での水泳や、

短パン一丁での高所での平均台バランス歩行、

鉄棒、相撲など…

運動会で綱引きに熱くなっている写真も。

 

その他、身体検査では

回転椅子でグルグル回された後に

直ぐに立ち上がり、

「止まれ!」という掛け声で

ピタッ っと起立し静止する検査とか…

動体視力を測るテストもあったな…。

 

(画像はHPより)

 

展示されている写真を観て

身長は凄く低いけれど、

皆凄く良い体をしているんですよ…

ポッチャリ体系の子なんて居やしない。

 

日々の猛特訓で

心身ともに鍛えられていたのでしょうね…

 

当初は練習生になるために難関を突破し、

訓練生になってからもなお

超エリートになる努力を積んだのですね…。

 

 

昭和に入り時が流れ、

戦況の悪化に比例するように

予科練生の募集規定も少しづつ緩くなったのを

展示資料を観ていく中で感じました。

 

育った訓練生たちが

海軍のパイロットとなり、

次々と敵地へ赴き…

 

そして戦死に至った・・・

 

ということなのでしょう(-_-;)

 

 

個人的に子供のころから

「戦争」に関するものに興味があるので、

今回この記念館に来ることができて

色々と知ることが出来ました。

 

広島、長崎の原爆資料館

沖縄の資料館だけではありませんね。

 

茨城県だって

海軍にまつわる戦争博物館はすごいぞ!!

 

 

 

敷地内には

零戦のレプリカが展示されています。

 

 

(画像はHPより)

 

天気が良い時はこんなふうに(*^。^*)

 

 

今回僕たちは行かなかったけれど、

訪問ゲートを通り

お隣の陸上自衛隊の敷地の方へ行くと

「雄翔館」という別の記念館があります。

 

この類に興味がある方は

数時間じゃ足りませんね…(*^。^*)

 

いつも僕は

せっかく訪れたのに

隈なく満喫することが出来ず、

チョイ残しな感じで終わってしまいます。

 

たぶん、

また来たいと思うからなのかな??

 

こういう施設は

後世に語り継いで、

いつまでも残っていて欲しいですね。

 

予科練平和祈念館」

茨城県稲敷郡阿見町大字廻戸5番地-1

☎029-891-3344

休館:月曜、年末年始など

観覧料:大人500円

 

 

☆☆ ティダぬファ~のわたるより ☆☆