ティダぬファ~『WATARU』

毎日が旅だったらいいのに…

アイヌ語 『ノンノ』

2018.6月…


北海道道東地方
知床の旅を終えて…



蝦夷地(えぞち)」
蝦夷ヶ島(えぞがしま)」

…と呼ばれてきた場所は

明治時代になると
「北海道」と改称され、

開拓が本格化し
大勢の和人が本州から移り住んだ。


明治政府は
アイヌ語や生活習慣を禁止し、

伝統的に利用してきた
土地までも取り上げ…
サケ漁や鹿猟をも禁じた。


アイヌ語を話すことをはじめ、
耳輪や刺繍、
伝統的な習慣や
重要とされていた「儀式」などが

『野蛮』 である!

と、勝手に禁止され
和人社会への同化政策の結果…
アイヌの人々は貧窮を余儀なくされた。


同化政策が進むにつれて、
しだいにアイヌ語が廃れていき…

数十年前までは
アイヌ語母語とする人も多かったが、
現在では
日常的な会話の手段としての機能を
殆どなしていない…。


2007年(平成19年)の推定で
約1万5000人のアイヌの中で
アイヌ語を流暢に話せる母語話者は

たったの10人しかいなかった…(-_-;)


現在アイヌ語を継承している
アイヌ民族の数が極めて少ないため、

アイヌ語は近いうちに
消滅危機言語の一つとなっている。



僕の大好きな
沖縄の島々にも
同じようなことがあったのを
博物館で知ったな…

島に生まれた女性が
手の甲や指先に施す
「針突(ハジチ)」という
沖縄固有の風習。

この風習も
明治時代に禁止令が出て
現在では消滅してしまった…。


どうして
各民族の文化を禁止したのだろう??


今更になって
明治時代の政府に歯向かっても
どーにもならないことなのだけれど、


各土地に適した文化や考え方に対して

『野蛮だ』

の一言で
伝統を消し去る和人のほうが
よっぽど野蛮だと思う。


でも…
哀しいかな

そういう時代だったんですよね(-_-;)



文字を持たない言語という…

もし、
文字が存在していたとしたら…

明治時代に言葉を禁じられても
後に復活して、

現在とは違った形で
北海道方言として使われていただろうな…



ある記事をみて
一つ学んだアイヌ語がある。


若い頃有名だった

『ノンノ』

という女性誌をご存知でしょうか??


「ノンノ」は
アイヌ語の『花』
に由来しているそうだ。

…北海道の原野に咲く
 野生の花をイメージして
 名づけました。

 素朴な愛らしさ
 永遠に変わらない美しさ
 ノンノをそういう雑誌にしたい
 
 愛読者である方に
 花のように愛されたいと
 願っています…


…と、発刊の意図が記されていた。


僕らの世代の人は
きっと記憶のどこかにある
女性誌「ノンノ」

アイヌ語で花というイメージの
言葉だったんですね(*^。^*)



流暢に
母語として話せる人が居なくても、
現在解っている
単語の一つ一つだけでも

消滅することなく
残されて欲しい…

と思う。


☆☆ チュプカムィの航路より ☆☆